心理コラム
他人の評価を参考にすることと、振り回されることはどこで違う?
会話が終わったあと、「さっきの言い方、感じ悪くなかったかな」と思い返す。 何かを断ったあと、相手の表情が少し曇っただけで「やっぱり引き受けたほうがよかったかも」と気になる。
人と関わっていれば、相手からどう見えるかをまったく気にせずに過ごすのは難しいものです。仕事や学校では周囲からの評価が実際に影響する場面もありますし、親しい相手からの指摘によって、自分では気づかなかったことが見える場合もあります。
だから、他人の評価を気にすること自体が問題なのではありません。
少し立ち止まって見てみたいのは、評価を受け取ったあと、自分の選択まで相手に合わせて変え続けていないかという部分です。
同じ「気にする」でも、そのあとの行動は違う
たとえば、友人から「さっきの言い方、ちょっと強く聞こえたよ」と言われたとします。
「そう聞こえたのか」と振り返り、必要なら次から言い方を変えてみる。これは相手の意見を、自分の行動を見直すための情報として扱っている状態です。
一方で、
「やっぱり私は感じの悪い人なんだ」 「ほかの人にもそう思われているかもしれない」 「次から余計なことは言わないほうがいい」
と、ひとつの指摘から自分全体の評価へ話が広がっていくこともあります。
この二つは、どちらも相手の言葉を気にしています。
違うのは、その評価がどこまで自分の中に入ってくるかです。
「この言い方は変えたほうがいいかもしれない」と考えることと、「こういう自分ではダメだから、もっと好かれるように振る舞わなければ」と考えることでは、その後の選択が変わってきます。
評価が「情報」から「判定」に変わるとき
他人から言われたことには、いくつかの性質が混ざっています。
遅刻が続いている、約束したことを守れていない、話している途中で何度も遮ってしまった。こうした具体的な行動について指摘されたなら、自分でも事実を振り返ることができます。
一方で、
「もっと明るいほうがいい」 「もっと社交的なほうが好かれる」 「そんな趣味は理解できない」
という言葉には、相手自身の好みや価値観も含まれています。
同じ人を見ても、「落ち着いていて話しやすい」と感じる人もいれば、「少し静かすぎる」と感じる人もいるでしょう。
ここで毎回、「相手がそう感じた=自分が直すべきところ」と受け取っていると、会う人によって自分の基準を変え続けることになります。
評価を参考にするときは、まず自分自身についての判定に変換する前に、
「これは具体的な行動についての話なのか、それとも相手の好みや感じ方も含まれているのか」
と分けてみると、受け取り方が少し変わります。
評判がよくても、安心できるとは限らない
周りから悪く思われないように気を配り、頼まれたことを引き受け、場の空気に合わせる。
そうして実際に「感じのいい人」「気が利く人」と思われるようになれば、不安もなくなりそうに見えます。
けれど、気にする対象が「悪く思われること」ではなく、今の評価を崩さないことになっている場合もあります。
一度「いつも優しい人」と見られるようになると、本当は断りたい場面でも断りにくくなる。
普段から明るく振る舞っていれば、今日は静かにしていたいだけなのに「機嫌が悪いと思われないかな」と気になる。
評価がよくなったのに楽にならないなら、確認したいのは評判の良し悪しだけではありません。
「私はこの評価を維持するために、どれくらい自分の選択を変えているだろう」
こちらのほうが、自分の状態を見つけやすい問いになることがあります。
「自分らしく」は、何でも好きにすることではない
反対に、他人の評価を気にしないことを「自分のしたいように振る舞えばいい」と考えると、別の問題が生まれます。
約束を破っても「これが自分だから」で済ませる。 相手が嫌がっていることを続けても「人の評価は気にしない」と考える。
これは、自分の希望を表現することとは別の話です。
「今日は行けない」と断ることと、連絡せず約束を放置することは同じではありません。
「私はこっちが好き」と伝えることと、「自分が好きだから相手も合わせるべき」と考えることも違います。
自分の気持ちを隠さないことと、相手への配慮をなくすことは両立しない二択ではありません。
むしろ、自分の希望も相手への影響も、どちらも確認できる余地を残すことが、評価に振り回されないためには必要です。
相手の表情を見た瞬間、自分の答えまで変えていない?
たとえば、友人から急に予定を頼まれたとします。
本当はその日は休みたかった。
最初に浮かんだのは、
「今日はちょっと難しいな」
という気持ちだった。
そこで「ごめん、今日は無理そう」と伝えた瞬間、相手の表情が少し曇る。
その顔を見た途端、
「やっぱり行けるかも」 「そこまで疲れているわけじゃないし」 「断ったら感じが悪いかな」
と、自分の判断を変えたくなることがあります。
もちろん、相手の反応を見て考え直すこと自体が悪いわけではありません。
相手が本当に困っていると分かって、「それなら今回は手伝おう」と自分で選び直すこともあります。
ただ、毎回のように相手の表情を見た瞬間、自分が最初に感じていたことが消えてしまうなら、少し別のことが起きているかもしれません。
大切なのは、
「相手の反応を見て考え直した」のか、 「相手の反応が怖くて、自分の答えを引っ込めた」のか。
その違いです。
表面上はどちらも「最終的に引き受けた」という同じ行動になります。
でも、自分の中で起きていることは同じではありません。
一人の反応を、「みんなの評価」に広げていない?
誰か一人に少し冷たい反応をされたとき、
「この人とは合わなかったのかもしれない」
と考えることもできます。
ところが、
「きっとほかの人も同じように思っている」 「私は人付き合いが下手なんだ」 「もっと好かれる人にならないと」
と、話が広がることもあります。
ここでは、一人の反応がいつの間にか「周り全体の評価」に変わっています。
でも、その人がどう感じたかと、ほかの人まで同じように感じているかは別の話です。
さらに、その場でうまくいかなかったことと、自分が人としてどういう存在なのかも同じではありません。
相手との相性、その日の状況、言葉の受け取り方、互いの余裕。
人間関係では、ひとつの出来事にいくつもの条件が重なっています。
だから一度の反応から、
「この人はこう感じた」
ところで止めておくこともできます。
そこから先の、
「みんなもそう思う」 「だから自分は変わらなければならない」
まで進む必要があるかどうかは、別に考えられます。
評価を聞いたあと、自分の基準が残っているか
他人の意見を参考にするとき、もう一つ見ておきたいのは、最後に自分の判断が残っているかです。
たとえば、
「その服、似合わないと思う」
と言われたとします。
その意見を聞いて、
「そう見える人もいるんだな」と参考にしつつ、それでも自分は好きだから着る。
あるいは、自分でも少し違和感があったので、別の服に変えてみる。
どちらも、相手の言葉を聞いたあとに自分で選んでいます。
一方で、
「似合わないと言われたから、もう着ない」 「変だと思われたくないから、自分が好きかどうかは関係ない」
と毎回なっていくと、自分の基準は少しずつ見えにくくなります。
他人の評価を参考にすることと、他人の評価に従うことは同じではありません。
参考にするなら、
「相手はそう感じた。では、自分はどう思う?」
という一段階が残ります。
その一段階がなくなるほど、評価は「情報」ではなく、自分の選択を決める命令に近づいていきます。
迷ったときは、「評価の内容」より「評価のあと」を見る
自分が他人の評価を気にしすぎているのかどうかは、どれくらい人目を気にしたかだけでは分かりにくいことがあります。
仕事なら、周囲からの評価を意識するのは自然です。
友人や恋人からどう思われているかが気になることもあります。
誰かから注意されたら、振り返ることも必要でしょう。
だから、
「人の目を気にした=振り回されている」
とは限りません。
むしろ見てみたいのは、そのあとです。
指摘を聞いたあと、自分でも考えられているか。 一人の反応を、自分全体の評価まで広げていないか。 相手の機嫌を守るために、本当は嫌だった選択を繰り返していないか。 周りからよく思われるために、自分の基準が毎回変わっていないか。
他人の評価を参考にするときには、相手の言葉も残ります。
それと同時に、自分の考えも残ります。
一方で、振り回されているときは、相手がどう思うかを想像するほど、自分がどうしたかったのかが見えなくなっていくことがあります。
他人の評価をまったく気にしない人になる必要はありません。
必要なのは、誰かの言葉を受け取ったあとにも、
「それを聞いたうえで、自分はどうしたいだろう」
と考えられる余地を残しておくことです。
評価を参考にすることと、評価に自分の選択を預けること。
その違いは、相手の言葉を聞いた瞬間よりも、そのあと自分の判断がどれくらい残っているかを見ると、少し分かりやすくなるかもしれません。
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