心理コラム
恋愛で「歩み寄る」と「相手を変えようとする」の境界はどこ?
「もう少し連絡してほしい」
「会う時間をもう少し作ってほしい」
「嫌なことがあるなら、黙らずに話してほしい」
恋人に何かを望むことは、珍しいことではありません。
付き合っていても、連絡の頻度や休日の過ごし方、お金の使い方、愛情表現の仕方まで、二人の感覚がすべて同じになるわけではないからです。
違いがあれば、話し合って調整することもあるでしょう。
でも、何度も同じことを伝えているうちに、
「これは二人で歩み寄ろうとしているだけ?」
「それとも、自分の理想に相手を変えようとしている?」
と迷うことがあります。
この二つは、どちらも「相手に希望を伝える」という点ではよく似ています。
違いが見えやすくなるのは、希望を伝えたあと、二人がどこへ向かおうとしているかを比べたときです。
「二人に合う方法を探す」と「相手を自分に合わせる」
たとえば、自分は毎日LINEをしたいのに、相手は用事があるときだけ連絡するタイプだったとします。
歩み寄ろうとしているときは、
「連絡が少ないと少し寂しい。もう少しやり取りできたらうれしい」
と自分の希望を伝えながら、
「二人にとって無理のない頻度はどのくらいだろう」
と考えます。
自分は毎日連絡したい。
相手は毎日の連絡を負担に感じる。
その両方を残したまま、二人が続けられる方法を探そうとします。
一方、相手を変えようとする方向に傾くと、
「恋人なら毎日連絡するべき」
「私が寂しいんだから、あなたがもっと連絡するべき」
と、最初から望ましい形が一つに決まっていきます。
違いは、「連絡してほしい」と伝えたことではありません。
歩み寄りでは二人の希望が出発点になり、相手を変えようとすると自分の希望が到着点になりやすい。
ここに一つの違いがあります。
「お互いに動く」と「いつも一人だけが動く」
休日の過ごし方でも比べてみます。
一人は外出したい。
もう一人は家でゆっくりしたい。
歩み寄るなら、
「今週は出かけて、来週は家で過ごそう」
という方法も考えられます。
完全に同じ好みになる必要はありません。
外出したい人の希望も、家で過ごしたい人の希望も残っています。
ところが、毎回どちらか一方だけが予定を変え、
「相手が喜ぶなら自分が我慢すればいい」
という状態が続いているなら、表面上はケンカがなくても、同じ意味での歩み寄りとは言い切れません。
反対に、自分の希望が一度通らなかっただけで、
「大切にされていない」
と決めることもできません。
相手が自分とは違う希望を持つことと、自分を大切にしていないことは別だからです。
比べたいのは、どちらの希望が通ったかではなく、二人の希望がどちらも話し合いの中に残っているかです。
「理解が増えていく」と「正解を覚えさせようとする」
同じ問題が繰り返されると、
「何回言えば分かってくれるの?」
と思うことがあります。
ここでも、二つの状態は似ています。
どちらも同じ話を何度かすることがあるからです。
ただ、歩み寄るための話し合いでは、回数を重ねるなかで相手について分かることが少しずつ増えていきます。
「自分はこうしたい」
「私はそこまでは難しい」
「じゃあ、ここまではどう?」
こちらの希望だけではなく、相手の事情やできる範囲も会話の材料になります。
希望通りの結果にならなくても、二人ができる範囲を探そうとします。
一方、相手を変えることが目的になると、会話は、
「前にも言ったよね」
「どうしてまだ直らないの?」
という方向へ進みやすくなります。
話し合いの目的が、相手を理解することよりも、こちらが望む答えを相手に覚えてもらうことへ近づいていきます。
もちろん、同じことを何度伝えても聞いてもらえない場合まで、すべて「理解の違い」で済ませる必要はありません。
一方だけが説明し、我慢し、修正し続けているなら、相手が変わったかどうかより、二人で調整するための会話そのものが成立しているかを見る必要があります。
「違いを残す」と「違いをなくそうとする」
歩み寄ることは、二人の違いをすべてなくすことでもありません。
たとえば、相手は一人の時間を多く取りたい。
自分は一緒に過ごす時間をもっと大切にしたい。
歩み寄るときは、
「相手は一人の時間が必要なんだ」
と理解しながら、
「でも、自分には一緒に過ごす時間も必要だ」
という希望も残します。
どちらかを間違いと決めるのではなく、その違いを持った二人が一緒にいられる方法を探します。
一方、相手を変えようとすると、
「恋人ならもっと一緒にいたいと思うはず」
と、違いそのものをなくす方向へ進みやすくなります。
逆に、
「相手はこういう性格だから」
と自分の希望をすべて消してしまうことも、歩み寄りとは少し違います。
違いを尊重することは、何でも受け入れることではありません。
相手にも選択があり、自分にも選択がある。
その前提を残せるかどうかが大切です。
「変化を選ぶ」と「変化を要求する」
話し合った結果として、相手が変わることもあります。
自分が変わることもあります。
お互いが少しずつ変わることもあれば、最後まで変わらない部分もあるでしょう。
ここで大きく違うのは、「変わった」という結果そのものではありません。
歩み寄りの中で起こる変化は、
「それなら自分はここまでやってみよう」
「その方法ならできそう」
と、それぞれが選んだ結果として生まれることがあります。
一方、
「私が望んでいるんだから変わって」
「変わらないなら大切にしていないということ」
と、変化そのものが愛情の証明になっていくと、相手の選択は残りにくくなります。
だから、「相手が変わったか」だけでは、歩み寄れているかどうかは判断しにくいものです。
見るなら、変化の結果より、そこへ至るまでの過程です。
「歩み寄る」と「相手を変える」の違いを比べるなら
「歩み寄る」と「相手を変えようとする」は、表面だけを見るとよく似ています。
どちらも希望を伝える。
どちらも話し合う。
どちらも、ときには相手に変化を求めることがあります。
でも、その中身を比べると違いが見えてきます。
歩み寄るときは、自分の希望を伝えながら、相手にも違う希望があることを残します。
相手を変えようとすると、自分の希望する形に相手が近づくことが中心になっていきます。
歩み寄るときは、お互いが動ける場所を探します。
相手を変えようとすると、一方だけが修正する状態になりやすくなります。
歩み寄るときは、違いが残っていても二人で扱える方法を探します。
相手を変えようとすると、その違い自体をなくすことが目的になっていきます。
だから境界を見るときに大切なのは、
「相手は自分の希望通りに変わったか」
ではありません。
自分の希望を伝えられること。
相手にも違う希望があると認められること。
そのうえで、二人が選べる方法を探せること。
この過程が残っているかどうかです。
それでも埋まらない違いはあります。
そのときも、
「もっと言えば変わるはず」
と相手を動かし続けることだけが答えではありません。
相手を変えなくても一緒にいられる違いなのか。
どちらかが無理をし続けなければ成立しない違いなのか。
二つを比べながら考えてみると、「歩み寄る」と「相手を変えようとする」の境界が、少し見えやすくなるかもしれません。
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